篠弘『凱旋門』(1999年12月/砂子屋書房)

著者 篠 弘
タイトル 凱旋門
出版年月/出版社 1999年12月/砂子屋書房 受賞回[年] 15回[2000年]
分野 短歌部門 分類 作品

[略歴]
  一九三三年三月二三日東京生まれ。早大国文科卒。小学館に入社し、百科事典編集長を経て、取締役、社長室顧問、九九年退社。土岐善麿、窪田章一郎に師事し、「まひる野」編集委員。歌集『花の渦』で短歌研究賞。『近代短歌論争史』で現代短歌大賞。『至福の旅びと』で迢空賞。九九年紫綬褒章。現代歌人協会理事長。

[受賞のことば]
  はからずも歌集『凱旋門』で受賞することになり、これほどうれしいことはありません。この歌集は、出版人としての仕上げの時期における人間関係や、ながらく勤めてきた神保町を愛惜するものが、その基調になっています。修辞が優先する時代にあって、一層「私」の生き方に拘泥しました。どこまで短歌で人間が詠めるか、これを弾みにして、あらたなる境涯に挑んでまいります。一つの節目に、この賞は、大きな励ましを与えてくださるものです。

  
[作品抄出]

くらやみに水の音する道端を這ふ集塵車うしろがさびし

踏みてゆくゼブラゾーンの白き縞冬の日ざしが脚にまつはる

黙禱に立ちてをりしがベル一つ鳴れる刹那に受話器をりぬ

結果より過程を見むとする評価人傷つけてゐるかもしれぬ

      十数年前における、不当労働行為の誤解を断つ。
物言へる側は忘れむかつて罵詈ばり浴びたるわれの頸太りけり

男ふたりめさせたりし紛争をにれがみて顫ふわれの口唇

烈しかりし職場団交の火炙ひあぶりやおのが疼みをいくとせ撫でし

言ひさして捉へがたなき言ひ換ふるわが呟きは組織をかばふ

まづもつて意見を述ぶる役回り棚上げさるる時あらばこそ

定年を前にして去るうつすらと目をあく友の弛むまなじり

もの書くと退きゆく友がひらひらと人をおそれぬ声にゐやする

執筆の時よりさらに灯を下げて胡桃の果肉とり出だしゐる

あげつらふ会話とだゆる空白の一瞬にしてグラスを乾せり

古書店をめぐりて一冊の雑誌抜き善麿に遇ふこの昼休み

返答は言ひつくしたりメモ用紙投げて入らねば屑かごを寄す

新緑のきはみに凱旋門となる日比谷通りに芽を噴くいちやう

人脈は繫げむとしてなしうるや帰社して一階のトイレに並ぶ

古書店に入れば忘れむ肌冷えて棚のはざまにわが身を運ぶ

両手もて振れば函より出づる本いのち永らふ黄のパラフィン紙

探し出しし『玉葉集』の文庫本ビニール袋にさはさはと鳴る

昼見たる古書の書棚に並ぶ順つぎつぎに追ふ夢のはじめに

事ひとつ終はらむとして表題タイトルを口ずさみ書く紺のファイルに

この街をまなく去らむか巡りゆく一誠堂より茶房ラドリオ

書き置かむこともなけれど感傷は変容しつつメモとり始む

書き出しの藍のかするるボールペンなぞり直してわが署名せむ

(掲載作選出・佐佐木幸綱)

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